名月

2006年10月1日 日常 コメント (1)
もう空気の乾燥度も朝晩の冷たさも秋だなーと感じます。

先日shumin小姐から月餅を頂きました。
甘いお菓子は大好き!!!

菊の節句ですね。旧暦9月9日。
今年は10月23日ですか?たしか。
私が重陽の節句を知ったのは高校時代の漢詩の授業です。
誰だっけなぁ、、、
杜甫?李白?有名な人の詩を教えてもらった記憶だけはあるんですが。
どんな内容だったかまでは覚えてない。
確か内容は山?で友人と酒を酌み交わすとか、髪に花を飾るとか…
そういう記憶もあるけど、違う内容の詩かな…。

今の日本ではあまり馴染みのない習慣で、
桃や端午の節句に比べて地味なイメージはあります。
一族の繁栄と自然への感謝を“陽”の字で書くのこの言葉がすっごく大陸文化。
って感じたのを今でも覚えてます。
日本の中秋の名月よりも夜の月が綺麗に見えそうな気がします。

今年の中秋の名月は10月6日ですよね。
団子買ってベランダで眺めてみるかな〜〜。
って花より団子な栄養満点の私です。苦笑

コメント

nophoto
http://all-china.seesaa.net/
2006年10月4日21:09

 白雪梅さんの漢詩の朗読と解説で癒されてみては

 ブログに書きましたが、唐の詩人、安倍仲麻呂「朝衡chao heng」の作品が紹介されました。朝衡は留学生として吉備真備ら遣唐使に同行し、霊亀三年(717年)、当時二十歳で唐に渡った安倍仲麻呂の中国名です。仲麻呂は初め仲満と名乗っていたが、後に朝衡と称した。李白や王維など唐代の一流の詩人とも交流があったとされています。また、唐の官吏として勤めていた時、遣唐大使藤原清河らと鑑真に渡日を依頼したことでも知られています。
 今日の詩境遊人で紹介された「望郷詩」は、仲麻呂が玄宗からやっと帰国を許され、帰国を前に故郷奈良に思いを馳せて詠んだ詩です。長安から東の空を望み、奈良の三笠山の上に昇る満月を思い出していたのでしょう。
 しかし仲麻呂が揚州の黄泗浦の港から乗った帰国船は難破し、安南(今のベトナム)まで流されてしまい、帰国できず再び長安へ戻ることになります。その後仲麻呂は玄宗、肅宗、代宗の三人の皇帝に仕え、従三品の高位にまで昇進します。しかし安禄山の変の勃発など政情が不安なこともあって、その後も帰国できず一生を中国の官吏として過したのでした。
FM−COCOLO−76.5「詩境遊人」より
http://www.cocolo.co.jp/kanshi/index.html でも聞けます。

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